女の子の健やかな成長と幸せを願う行事であるひな祭り。ひな人形を飾り、菱餅やひなあられ、ちらし寿司やはまぐりのお吸い物などでお祝いをします。誰しも子供の頃、一度は「あかりをつけましょぼんぼりに〜♪」の歌を口ずさんだことがあるのではないでしょうか?
今やひな人形の形も種類も様々ですが、ひな祭りはいつ頃始まったもので、どんな由来があるのでしょうか?
今回の記事では、ひな祭りについてご紹介します。
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目次
2018年のひな祭りはいつ祝う?
ひな祭りは「桃の節句」という上巳の節句のお祝いで、これは毎年3月3日と決まっています。
これは誰しも幼いころか記憶されている日付ではないでしょうか。
昨年は金曜日でしたので今年は家族でじっくりお祝いできそうですね。
4月3日に祝う
この日付ですが、江戸時代までは太陰暦を使っていたので、3月3日というと実は現在の4月ごろだったのです。明治時代に改暦が行われ、太陽暦となってから、現在の3月3日に落ち着きました。
しかし、東北・北陸の一部の地域では旧暦を守り、旧暦3月3日もしくは、新暦の4月3日に行う地方もあります。
この旧暦の3月3日、新暦で言うと4月ごろは桃の花の咲く季節なので、「桃の節句」という名称になったのです。
8月1日に祝う
また、香川県の一部地域では、仁尾城が落城した日が3月3日だったのでひな祭りを八朔と言われる旧暦8月1日に行ったり、兵庫県の一部地域では室町時代の伝承で非業の死を遂げた花嫁の鎮魂を行うため、旧暦8月1日にひな祭りを延期して行っているなど、地域の伝承や風習によって、3月3日ではなく8月1日に行う地方もあるようです。
ひな祭りの由来と意味は?
ひな祭りの由来は2つあります。
どちらも平安時代からあった文化です。
流し雛
1つめは、『流し雛』という、自分の身体の悪いところをワラや草木、紙などで作った人形で撫で、穢れを移して川に流すという行事です。これを3月最初の巳の日に行ったことから、巳の日祓い→上巳の節句となっていったのですね。
ひいな遊び
2つめは、『ひいな遊び』という、貴族の子どもたちの間で行われていた紙人形によるおままごとです。「ひいな」が現在の「ひな」になったもので、もともと「小さくて可愛らしいもの」という意味です。
上流階級の子女の嫁入り道具だった
これら2つが融合し、室町時代の頃には、人形も流すものではなく、飾るものへと変化し、上流階級の子女の嫁入り道具の一つとなったのです。
江戸時代に入ると、桃の節句が女の子の成長と幸せを願う行事と定められたことで、ひな人形はいっそう華やかなものになり、ひな人形やひな祭りが一気に庶民の間に広まっていきます。
自慢のひな人形を見せ合う「ひな合わせ」、ごちそうを持って親戚の家にお呼ばれする「ひなの使い」、おひな様を外に連れて行って綺麗な景色を見せてあげる「ひなの国見せ」など、町をあげてのお祭りになって行ったのです。
ひな祭りの起源は平安時代。おひな様に穢れを祓っていただく感謝の気持ちを忘れずに
今回の記事では、ひな祭りの由来や意味についてご紹介しました。
おひな様はもともと、穢れを祓ってくれる紙やワラの人形=ひとがたからできたものです。
穢れを代わりに流してもらうという行事が、女児の健やかな成長と幸せを願う行事へと発展してきたものです。
ひな人形は江戸時代中期に庶民の間に流行り始めてからどんどん豪華になり、幕末ごろには現在の豪華なひな段に見られるような有職雛、嫁入り道具、御殿、段飾りなどが増えていきました。
形は変われど、おひな様に感謝の気持ちを忘れず、子供の成長をお祝いをしたいものですね!
最後までお読みいただきましてありがとうございました。