2019年は遂に平成最後の年となってしまいましたね。
ついこの間平成になったばかりと思っていましたが、あっという間。その間どんなことがあったのだろうと振り返ることが多くなって来たのではないでしょうか。
せちがらい政治や経済状況ですが、せめてスポーツではと感動した出来事も多かったように思います。
メディアの感動の押し売りは好きではありませんが、やはり日本を背負い戦う選手たち、アスリートたちを応援しないわけにはいきません。
その結果には、やはりいろいろな感情が入交り「感動」という安っぽい表現に終始してしまいますが、、
とにもかくにも偉業といえる出来事は多くありました。
ぜひぜひ、仕事の合間の歓談のネタにしてはいかがでしょうか。
数多くの出来事があり、非常に絞るのは難しいのですが、キリのいいところで10の出来事をまとめています!
目次
平成は日本のスポーツ選手が注目された年
うれしいことに平成の時代は、日本人アスリートが世界で大きく羽ばたいていった時代でした。
今思い返しても本当にワクワクすることが多かったですね。
Jリーグの開幕、ワールドカップ出場、長野五輪の開催、、
選手達にとっては苦難の道が多々あったことでしょう、本当に様々な出来事がありました。
特に、ドーハの悲劇を乗り越えた日本サッカー選手たちは、その後世界へ飛び出しワールドカップ出場を勝ち取るという、日本全体が興奮に包まれる出来事がありました。
非常に選出は難しいですが、平成のスポーツの歴史の中で
日本人が感動・熱狂した場面を厳選して「10」まとめてみましたので、ぜひシェアしたいと思います。
平成の感動・熱狂したスポーツでの出来事まとめ10選
1.ドーハの悲劇からのサッカーワールドカップ出場
平成スポーツの歴史でも語り継がれるのはいいことだけではありません。
日本サッカーの中でも印象深い出来事の一つとして「ドーハの悲劇」があります。
これは1993年のカタール・ドーハで行われたワールドカップアジア最終予選イラクとの試合での出来事です。
2-1の日本リードで迎えた試合終了間際で、イラクがコーナーキックを獲得し、このコーナーキックからのボールをイラクは見事に決めてゴール。
なんと2-2の引き分けで試合が終わったのです。
あとは2位以下のチームの結果次第でしたが、結果としてサウジアラビアと韓国に順位を抜かれ、日本はW杯初出場を逃すのでした。
現在はW杯常連ともいえる日本ですが、このドーハの悲劇を経験したからこそ今の日本サッカーがあるのかもしれません。
その後、1997年11月16日、ジョホールバルで歓喜のワールドカップ出場を勝ち取ります!
決定機を何度も逃すのですが、最後は、司令塔中田選手の渾身のシュートのこぼれ球を「野人」こと岡野選手がスライディングでねじり込みます!
ぜひ、この歓喜を再びの動画です!
2.なでしこジャパンW杯優勝からの国民栄誉賞の受賞
2011年の女子サッカーW杯で日本は快進撃を見せました。日本女子サッカーも実は、長い間陽の目を見ることがありませんでした。
しかし、海外に活躍の場を求めて飛び出した選手たちは確実に実力をつけていました。
ドイツで行われたW杯に出場した女子サッカー日本代表ですが、やはり注目を浴びていませんでした。
しかし、グループステージを2位で通過した日本は決勝トーナメントも順調に勝ち進み、ついに決勝戦まで駒を進めます。
決勝の相手は当時世界ランキング1位の強豪国アメリカでした。
アメリカに2度のリードを許しながらも、それは神がかかり的な猛追で後半と延長でゴールを決めて2-2の同点、
ショートコーナーからの澤選手のゴールは鳥肌モノです。
そして、試合はPK戦へと望みの繋げました。
PK戦ではゴールキーパーの海堀選手がファインセーブの大活躍を見せ、結果3-1で日本が優勝を飾りました。
なんと大会のMVPには澤穂希選手が選ばれ、日本国旗をまとった後ろ姿の写真は、カッコよすぎて一時語り草となるほどでした。
女子サッカー「なでしこジャパン」が国内外に一躍知れ渡ることとなりました。
同年、その偉大な功績からなでしこジャパンのメンバー全員が国民栄誉賞を授与されるのに至ったんですね。
全員での授与は当時、賛否両論ありましたが、チームスポーツならではの出来事だったと言えるでしょう。
3.冬季五輪初の女子金メダル
1998年に開催された冬季オリンピックで、初の女子金メダリストが誕生しました。
フリースタイルスキー女子モーグルの選手であった里谷多英選手。のちにフジテレビに入社されたことも話題を集めましたね。
この種目は当時まだ認知度はそれほどでもなかった種目で、里谷さん自身も有名ではありませんでした。
しかし、金メダルを獲ったことで里谷選手のみならず一夜にしてモーグルをメジャーな種目へと押し上げました。
そのあとには、上村愛子選手が続きモーグルは人気種目として定着していきましたね。
4.アジア選手初の金メダル
2006年トリノ五輪女子フィギュアスケートのフリーで自己最高得点をマークし、アジア選手初となる女子フィギュアでの金メダルに輝いたのは荒川静香選手。
荒川選手のプログラム終了後、会場はスタンディングオベーションを送りました。
観衆の心を引きつけた荒川選手の演技は完璧でした。特に印象に残るのはその年の流行語大賞にも選ばれた「イナバウアー」。
荒川選手のトリノ五輪金メダルを機に、フィギュア人気が沸騰。現在もフィギュアスケート人気は衰えることなく続いています。
どんどん世代交代が進んでいくフィギュア界、日本選手の活躍に目が離せません。
5.14歳で金メダル
1992年バルセロナ五輪で日本代表の14歳が快挙を見せました。
その選手の名前は岩崎恭子選手です。
200m平泳ぎに出場した岩崎選手は当時の五輪新を記録し競泳では最年少の金メダリストとなったのです。
その時、彼女が口にした「今まで生きてきた中で、一番幸せです」という言葉は人々の印象に残りました。
6.「YAWARA」ブーム
「ヤワラちゃん」。
この言葉を聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。
この愛称で呼ばれていたのは柔道の谷亮子選手(旧姓 田村)です。
「最高で金、最低でも金」という名言も残した谷選手はオリンピックの出場3度目である2000年のシドニー五輪で金メダルを獲得したのです。
そして、結婚後の2004年のオリンピックでも金メダルを獲得し、見事連覇を達成しました。
7.甲子園決勝でノーヒット・ノーランを達成した平成の怪物
プロ野球中日ドラゴンズで2019年シーズンから背番号「18」に返り咲いた松坂大輔選手。
松坂選手は1998年夏の甲子園で史上2人目となるノーヒットノーランを達成しました。
この試合で松坂投手は「平成の怪物」という異名を獲得したのです。
そして、1998年秋のドラフトでは3球団との競合となり、西武が1位指名を引き当て、入団しました。
翌年のシーズンでは新人賞を受賞し、その後も最多勝やベストナインなどタイトルを獲得。
自信が確信に変わりました、という名言はあまりにも有名。
メジャーでも活躍し2014年に日本球界に復帰し、2018年からは現所属の中日ドラゴンズへ入団。
日本球界に復帰後12年ぶりの先発勝利を挙げカムバック賞を受賞しました。
ベテランの松坂選手の今後にまだまだ期待ができそうです。
8.ラグビーW杯で日本代表が南アフリカに歴史的勝利
2015年に開催されたイングランドのラグビーW杯でスポーツ史に刻まれる出来事がありました。
それは、W杯優勝を2回経験している強豪国である南アフリカ代表に勝利したことです。
イングランド大会でも優勝候補として名乗りを上げていた南アフリカ代表でしたが、日本との試合は接戦でした。
試合終了間際にスクラムからボールがつながりヘスケス選手がフィールドを爆走、タックルを受けながらもギリギリのラインで逆転のトライを奪ったのです。
会場は大きなどよめきと歓声が響き渡り、この大金星は日本のみならず全世界で報道されました。
日本代表の愛称である「ブレイブ・ブロッサムズ」が認知された瞬間でした。
9.「Qちゃん」の愛称で親しまれたマラソン選手
「Qちゃん」の愛称で呼ばれていた女子マラソンの高橋尚子選手。
2000年のシドニー五輪で金メダルを獲得しました。
激しい一騎打ちに勝った高橋選手は16年ぶりの五輪新を記録し、日本陸上女子の中では初めての金メダルでした。
小出監督の厳しい指導の下、人一倍の練習量をこなしていた高橋選手の努力が実った瞬間でした。
10.日本人2人が表彰台へ
2018年の平昌五輪で66年ぶりとなる連覇を成し遂げたのはフィギュアスケート男子、日本の羽生結弦選手でした。
フリーで多少のミスはあったものの、最小限に抑えての金メダルでした。
銀メダルは宇野昌磨選手。なんと、日本人2人そろっての表彰台は初めてでした。
宇野選手もミスを補う高難度の技を見せ、見事銀メダルを獲得し、素晴らしい大会として幕を下ろしました。
平成の歴史を塗り替えることができるか
今回の記事では、平成をスポーツで振り返ってみました。
振り返ってみると、日本人が丁度世界と肩をならべるべく大きく羽ばたいていった時代が平成という時代だったのではないでしょうか。
特に、外国人に対してのコンプレックスを持たない世代が台頭しはじめ、サッカー経験者の筆者としてはその象徴が中田英寿氏なのではと思う次第です。
2019年にはラグビーW杯。
2020年には東京五輪。
スポーツの祭典が続く日本で選手たちはどんな結果、そして歴史を残すのが楽しみはつきませんね。せちがらい世の中だからこそ、自信を投影する日本代表選手を応援してしまいます。
つかの間、現実を忘れるために少し熱狂に身を任せてもいいと思うのです。
斜陽国家となりつつある日本、せめてスポーツの世界では舐められないよう活躍していただきたいと思う、今日この頃です。
気になる平成に次の元号についてはこちらで紹介していますので、参考にしてみてください。
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