夏の花火大会で打ち上げ花火が上がったときの一般的な掛け声として知られる「たまやー」。
なんとなく合いの手でたまやー!と掛け声をかぶせてしまいますが、
遡ること江戸時代にその由来がありました。
玉屋という花火屋の名前、つまりその屋号だったのですね。
元々は応援していることを表現するために歌舞伎などで見られる屋号を叫ぶという
行為でこれと似ていますが、どの花火屋の花火なのかを紹介する意味合いもあったのです。
今回の記事では、花火大会での掛け声にまつわる話をご紹介します。
たまやーとかぎやーの掛け声の由来
掛け声の由来をひも解くと、たまやーは「玉屋」という江戸時代に実在した花火屋さんの名前でした。
当時の花火は隅田川(当時は両国川)を挟み、
上流と下流に分かれて別々の花火屋さんが花火を上げていました。
もう一方の花火屋として技を競いあっていたのが、
かぎやーとして掛け声が上がっていた「鍵屋」でした。
ほとんどたまやーの掛け声しか耳にすることがありませんが、
花火に関する技術と歴史は実は「鍵屋」が断然、格上でした。
鍵屋
1659年に鍵屋初代弥兵衛が、江戸は日本橋横山町でお店を開いたのが、鍵屋の始まりと言われています。
その後1711年に初めて隅田川で花火を打ち揚げを行ったという記録が
残っています。
現在でも15代目とその歴史を脈々と伝えています。
スターマインは鍵屋が初!
どちらの花火大会でもおなじみのスターマインですが、実は鍵屋の11代目が明治36年(1903年)にマニラへ渡り、
多くの花火を一斉に打ち上げる技術を持ち帰ったことが発端でした。
そこから花火大会の演出に加えるようになったと伝えられています。
玉屋
一方の玉屋は、実は鍵屋の暖簾分けされた花火屋でした。1808年に鍵屋の番頭であった清七が両国の吉川町で玉屋の屋号で
花火屋を開いたと言われています。
もともと腕のいい職人が作った花火屋でしたので人気を博していました。
ですが、1843年に花火の製造過程でのミスで大火事を出してしまいます。
このことが原因で、江戸所払いという重い刑を受け玉屋は断絶してしまったのです。
こういった経緯があり、玉屋の花火技術を惜しむ江戸っ子は、
鍵屋だけとなった花火大会でも「たまやー」と掛け声を上げ続けたのだそうです。
隅田川花火大会の歴史
鍵屋と玉屋が活躍した花火大会は、日本人なら誰でも耳にしたことがある、「隅田川花火大会」の原型にあたる「両国の川開き」でした。
当時、隅田川は両国川という名で呼ばれており、
1733年に行われた両国川開きの大花火が、隅田川花火大会の始まりでした。
上述の通り、この当時はまだ玉屋は存在せず、鍵屋のみが活躍していました。
その後、玉屋が暖簾分けし、川の上流は鍵屋の担当し下流は玉屋が担当するという
構図が出来上がりました。
実は、1961年(昭和36年)までは「両国の川開き」という呼び名で開催され、
その後1978年(昭和53年)から「隅田川花火大会」という呼び名に変更されたのですね。
隅田川花火大会としては、実に2017年で40回目を迎えることとなります。
隅田川花火大会の公式ページはコチラ
参考
隅田川花火大会の様子を動画でお楽しみください!まとめ
花火大会であがる掛け声、「たまやー」についてご紹介してきました。花火屋の屋号を応援する、またはどの花火屋の打ち揚げなのかを識別する意図もありました。
玉屋についての惜しまれつつ断絶してしまった過去と、
それを惜しむ声が現在も花火大会の掛け声としては主流となっている「たまやー」に
受け継がれているように感じます。
打ち揚げ花火をご覧になる際、こんな話で歴史を振り返るのはいかがでしょうか。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
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